写経や般若心経と聞くと、信仰の世界でご利益という言葉を強くイメージさせられます。
一般的には、地獄・極楽は死後の世界のことと考えられています。おどろおどろしい絵図も描かれていますし、現世での行いが悪いと地獄に落ちて救われないと教える人もいます。
それを信じ、その不安を消すために、死んでから極楽に行けますようにと、お経を読んだり、お祈りしたりもします。

実は、これだけお祈りしたから、これだけ善行をしたから、どうか地獄に落とさないでくださいと要求すること自体が、誤りなのです。こうしたことで極楽を得ようとすればするほど、瞬間瞬間が苦しみに変わってしまいます。
地獄・極楽というのは、死後の世界だけにあるのではありません。まさに、いま生きているこの世のなかにもあるのです。

地獄というのは、苦を味わって生活する状態をいいます。
たとえば、肉体的な面から苦を刻む人がいます。はたから見れば手や足が不自由に映ったり、重病を患い肉体に後遺症が残ってしまったなど、こうした人が、その苦しみを日々味わいながら生きているとすると、これは地獄になります。
逆に、肉体的にも社会的にも恵まれているのに、地獄をさまよっている人もいます。
お金はある、社会的地位もある。しかし、喜べない、生きている喜びがない。不平不満が尽きることがない。決して困窮した生活ではないのに幸福感がまったく感じられない。尽きることのない不平不満が、いつもいつも苦を刻んでいる。これはまさに地獄というべきものでしょう。

極端な例ではありますが、お金はそれほどない、地位もない。住んでいる家も賃貸アパート。おかずが一品しかなく、それをみんなで分けあって食べていても、満足感に満ち、それを喜びと感じられる生活。これが極楽なのです。
他人から見れば、貧しい生活と映るかもしれませんが、本人が苦でなければ、それは極楽です。

では、この世の地獄から遠ざかる道はあるのでしょうか。
それは、苦を刻む生活から脱することしかありません。病気の人は、たいていの場合は苦を刻んでいると言えるでしょう。「病気があるから、生きるのが辛い」と思っています。「この病気さえなくなったら、明るくなれる」と思っています。しかし、そうではないのです。明るくなったら、苦を刻まなくなったら、病気は去っていくのです。「苦しい」と思ったときは地獄、「楽しい」と思ったときは極楽なのです。
地獄・極楽は私たちのなかにあります。
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