「超写経」は、場所も道具も問いません。喫茶店であろうと、オフィスであろうと、机であろうと畳の上であろうとかまいません。従来の写経のように、墨を使い、毛筆でなければならないというような制約もありません。ボールペンで簡単に書きすすめます。
写経の本を見ると、墨のすり方から始まり、筆の持ち方、筆の濡らし方、筆の先の方向と目線の位置、写経の際のマスクのかけ方まで指導されています。写経する人の息がかかると、ありがたいものが汚れてバチがあたるというのです……。さらには、墨をするときの墨の回し方で、ご利益が違ってくるといいます。すがすがしい環境も必要で、部屋のドアを少し開けて、庭の朝風がサッと入ってくるような環境が望ましいといいます……。
人々はおそらく、形式ばった書道をするために写経を始めたわけではないでしょう。字を間違えないように肩がこるほどに緊張し、うまく書けた、うまく書けなかった、この字のこの部分はすばらしい……などと評したところで、「喜び」などわいてくるはずもありません。かえって、そこにあるのは「苦」です。

「超写経」は、姿や形にとらわれず、「いまを生かされていることを素直に喜び」ながら行います。それも、ただひたすら繰り返します。
そうすると、いつの間にか、「書かずにはいられない自分」を発見することになります。それが「喜び」がわき始めた状態なのです。
「書かなければいけない」と言われて書くのが信仰の写経です。これに対し、「書かずにはいられない」のが「超写経」なのです。

形式にいっさいこだわらず、俗にいわれるような「無心の構え」も必要とせず、頭の中にどんな雑念がおころうとも気にせず、ただ、ただ、繰り返します。
これが自然に行え、なんとなく生活のなかにとけ込んできたとき、不思議とこだわりが取れ、素直になり、だんだんと身体や気持ちが楽になっていき、少しずつやる気がわいてきて、願わず求めずとも、いまあるがままで幸福を実感できる現実がそこにあるはずです。
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